活動状況で平成18年10月20にカンボジア政府関係者が堺市を表敬訪問した模様があります。
500名の生徒は、5つの教室で250人ずつ2交代で全員が学ぶことができます。
完成記念式典の会場にはカンボジア国旗と日の丸を振る500名の生徒たちが待っていました。
タトレアル小学校の生徒や地元関係者の人達が日本から来た私達を大歓迎してくれました。
出席者を代表してカンボジア国会のノン・ネル国会副議長が感謝の言葉を述べて下さいました。
会場は生徒や村民を中心に約1,500人が集まり新校舎の完成を式典を祝いました。
タトレアル小学校新校舎完成式典の取材にカンボジアのテレビ局も取材に来ました。
陵東ライオンズクラブの吉川会長が挨拶を述べ、子供たちにノートなどの文房具を寄付しました。
村の住民や学校関係者等には、日本より持参した記念品を配りました。
想像を遥かに超える規模の豪華な記念式典は、無事終了しました。
子供たちは「早く勉強したい」など新校舎の完成にに大喜びでした。
校舎の入り口の前で国会副議長や堺陵東LCのメンバーを囲み記念写真を取りました。
カンボジアの子供たちは、素朴で仏教の信仰が厚いため非常に礼儀正しいことに感激しました。
教室に入ると「日本の皆さんありがとう」と児童たちは日本語でお礼の言葉を言ってくれました。
机や椅子も新校舎建設に合わせて寄贈されました。堺陵東LCの名前入りです。
ノートなどの文房具は、真新しい教室で生徒一人ひとりに手渡ししました。
子供たちは新しい綺麗な校舎で、記念品の文房具を貰い大喜びでした。
新校舎の壁には、建設記念プレートが取り付けられてました。
カンボジアのフンセン首相よりカンボジア王国「国家再建金賞」を頂きました。受け取ったのは小学校建設を
コーディネートして頂いたアジア協会アジア友の会の村上公彦事務局長です。
(訳文)タトレアル小学校建設併せて机、備品を寄付してくださいました。
心をこめてカンボジアの復興と再建のプロジェクトに参加してくださった皆様に、感謝をこめてこの賞を授与いたします。
プノンペン11/16/2006年カンボジア王国首相フン・セン
村の入り口にも小学校を示す看板があり、日本の国旗入りの看板が設置されました。
(右写真)堺陵東ライオンズクラブのメンバーと校長先生です。(左から吉川会長・米田・校長・水ノ上)
村の人達はみんな笑顔で私達を迎えてくれました。学校には幼い妹を連れてくる子供もいました。
<主なデータ>
1.面積 18.1万km2
(日本の約1/2弱)
2.人口 13,363,421人
3.識字率 69.4%(男80.8%、女59.3%)
4.平均寿命 58.14歳(男55.71歳、女88.71歳)
5.義務教育 小学校6年、中学校3年=プライマリースクール
1965年から始まったベトナム戦争が引き金になり、1970年カンボジア内戦が始まり1998年に日本やフランスが主導して停戦するまで内戦は続きました。この内戦ではクメールルージュ(ポルポト派)による200万人以上(当時の国民の1/6以上)の人々が虐殺されるという悲劇もおこりました。
4月13日(木):関西国際空港出発
4月14日(金):9:30プノンペン到着 プノンペン市内にあるトゥールスレン視察
4月15日(土):6:00オサレイ村に向けて出発 学校建設現場であるタトレアル小学校訪問交流
4月16日(日):アンコールトム遺跡訪問 アンコールワット遺跡訪問 プノンペン空港出発
4月17日(月):7:30関西国際空港着
カンボジア訪問は、私が所属する堺陵東ライオンズクラブが「本当に喜んでもらえる社会奉仕」の観点から検討した結果、長い内戦で満足な教育が受けられない子供達が多くいるカンボジアに小学校を建てる事となり、その建設現場の視察と現状把握のために訪れました。
今回訪問したライオンズの大仲会長を含むメンバー4人は、非常にタイトなスケジュールの中でカンボジアの小学校の悲惨な現状を目の当たりにし、一刻も早く子供たちが安心して学べる学校を建てることの重要性を痛感しました。
また堺市議会で教育問題に取り組む者としても、今回のカンボジア訪問は非常に有意義で考えさせられる事となりました。
11月17日(金):関西国際空港出発
プノンペンから200km約5時間で目的地のオサレイ村に向けて出発。
右より堺陵東ライオンズクラブ大仲会長、水ノ上、可知L、舩本L
(右写真)オサレイ村の入り口です。入り口から人家まで約800m
村の人たちから大歓迎を受け、政府からはセン・リム・ネウ内閣官房事務次官も駆けつけていた
だきました。
堺陵東ライオンズクラブ(大仲康暉会長)からは、羽子板など日本の伝統文化の品々が贈られました。
カンボジア側はセン・リム・ネウ内閣官房事務次官から堺陵東ライオンズクラブに今回の小学校寄付に対して感謝の意として銀のお皿を頂きました。
水ノ上も校長先生にサッカーボールや折り紙、文房具を子供たちに渡しました。
新しい学校で学ぶ多くの子供たちも大歓迎で我々を迎えてくれました。
すでに学校建設は始まっており、現在基礎工事入っています。年末には完成する見通しです。
この日は子供たちも基礎に必要な大きな石を小さな体で運んでいました。
今回の小学校建設プロジェクトには、日本とカンボジア両国のアジア協会アジア友の会・クメー
ル・アジア友の会はじめ関係者の皆様の尽力によって行うことができました。心より感謝いたします。
内戦の傷跡が残る村ではありますが、新しい学校で学んだ子供たちの将来が楽しみです。また日本とカンボジアの架け橋となれる様に頑張って欲しいものです。
現在のタトレアル小学校の校舎です。屋根をはじめいたるところが老朽化しています。
元気な笑顔の子供たちにも学校の中を案内して貰いました。
教室の内部もいたるところに損傷がありました。机や椅子もボロボロのものもありました。
この校舎には2教室しかなく小学1・2年生しか学ぶことができません。
こちらの校舎も日本が建てたもので、この校舎とほぼ同じものが今年の年末に完成する予定
です。この校舎は外務省の「草の根無償資金協力」により建てられました。
ここからアンコールワットの写真を撮るのがベストらしい。池に移るアンコールワットと
「とんがり」5つ見えるのがポイント。
さすがに世界遺産。アンコールワットには世界中から観光客がやってきていました。
アンコールワットは南北1,300メートル、東西1,500メートルの堀に囲まれているヒンドゥー教
寺院です。今でも実際に寺院では宗教活動も続いています。
アンコールトムの遺跡。アンコールワットの後に建てられたが、未完のまま・・・。
アンコールトムの有名なクメールの微笑み。
高校の校舎を転用してつくられた監獄。ポルポト支配下での激しい拷問と処刑の舞台。
トゥールスレンには、数々の拷問や処刑時に使用された道具が残されています。
トゥール・スレンに連行された後、顔写真を撮られた後、尋問され殺されていった。その数
20,000人を超えた。生還できたのはわずか6名。
ポルポト支配下の3年と1ヶ月、2,000人を越える子供が、トゥール・スレンに連行され、誰も生きては出られなかった。
奇跡的に生き残った6名のうちの一人が書いた当時の刑務所内の様子。当時の看守も認めた。
独房。私語厳禁。鎖でつながれ身動きできずただ死を待つのみ。
写真の母親はもちろん、乳飲み子までも容赦なく殺された。
こんな狭いところに罪無き多くの人が閉じ込められ、クレールルージュによって処刑されていった。
電気を使った拷問部屋です。この部屋でも多くの人々が殺されました。
頭蓋骨でできたカンボジアの地図が展示されています。中には陥没した頭蓋骨もありました。
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【水ノ上成彰 事務所】
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