対馬は日本本土から132km、韓国釜山から約50kmと朝鮮半島に隣接する行政区である。
その歴史は古く、朝鮮半島と日本を結ぶ海の中継点として栄えてきた。
今回2度目の対馬視察だが、今回の視察の焦点は過疎化が進む対馬に韓国資本が入り 土地の買占めなどを行っている事を調査することである。
大韓民国の馬山市議会が2005年に3月に「対馬島の日」を条例制定したため韓国では 対馬が韓国領土であるという認識を持つ人が多く土地や宿泊施設などが買収されている。
対馬は日本の領土であることは明白であり、全く争う余地がない。
竹島が日本領土であるにも係らず、韓国に武力支配されている事を鑑みれば対馬で現在 おこっていることは到底看過できることではない。
今回は衆議院議員西村真悟先生と共に 対馬市役所、陸上自衛隊碁地、海上自衛隊基地を視察した。
対馬市役所では生憎、財部市長にお目にかかれなかったため、斎藤副市長にお話を伺った。
現市長は、「アリラン派」と呼ばれ観光を中心に韓国重視の政策をとっている。
韓国からの観光客は年間約7万人余りに対し島の人口約3万6千人。
倍近くの観光客が押し寄せ、市の行政も韓国の観光客に配慮して観光案内などほとんど ハングル文字が併記されている。
対馬は歴史の宝庫で白村江の戦いの後、防備のために作られた金田城跡、元寇の古戦場、 日露戦争時の日本海海戦の基地などが今でも残っており、これらの歴史上の史跡は
日本人にとっては大変価値のあるものだが、朝鮮人にとっては何ら価値のないものである。
そんなことから、副市長には韓国人相手より日本人観光客相手の行政をお願いした。 海上自衛隊基地では基地に隣接する土地が韓国資本に買収され、リゾートホテルとして
使用されている実態を視察した。
充分な武器も装備されていない海上自衛隊基地のため防衛上危惧される。
まさしく対馬は国境の島であり日本の縮図だ。
多くの日本人が対馬に注目していかなければならないと感じた。
小茂田浜古戦場に立つ。文永の役の時、蒙古軍約3万、約九百隻の軍船が現れて、最初に激戦が
行われた。日本勢は対馬藩主宗助国率いるわずか200騎足らずの軍勢で蒙古軍を迎え撃つ。勇敢に戦うも全滅し日本の武士を奮い立たせた。元寇の役はこの浜から始まった。天候は残念ながら朝から雨、肌寒い一日で視界が悪く遠くまでは見渡せなかった。
《元寇》の小茂田浜古戦場跡。 浅茅湾の二つの鳥居。(和多都美神社)
和多都美神社・・・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと
)を祭る海宮(わだつみのみや)で、海神神社の一の宮として古くから竜宮伝説が残されています。
豊玉姫命の墳墓、本殿。(左側) 豊玉姫命の山陵・神秘的な場所でした。
昨日の天気からはうって変わって晴天。対馬市役所前にて。
「やまねこ」 のニックネームをもつ陸上自衛隊基地視察。
《ツシマヤマネコ》 生息確認数70匹足らず・・・ 絶滅の危機に瀕するツシマヤマネコ 日本では対馬だけに生息する野生の猫で朝鮮、 中国に分布し、かつて対馬が大陸と陸続きであったことを証明する。
絶滅の危機にある国の天然記念物。 (対馬まる分かり!ガイドマップより)
島の防衛は勿論のこと、その他に韓国との国際交流事業なども協力をしているそうです。
船のない海上自衛隊基地、そして、北部に飛行機のない航空自衛隊基地も対馬にあり、レーダー
による海と空の情報収集をしている。
マスコミが騒いでいた韓国資本が購入した海上自衛隊基地に隣接するリゾートホテル。
リゾートホテル内にある天皇皇后両陛下の行幸啓記念碑。韓国資本の購入地に置き去りにされて
いる。移設をして日本人誰もが拝見できるようにしなければならないと思う。
663年白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れた後、天智天皇が国の守りの最前線として浅茅湾
にそびえる城山に金田城(かねたのき)を築き防衛の拠点とした。
日本最古の城跡で現存する遺構は三つの城戸とそれを取り巻く石塁。
城山を登り海を眺めると、対馬は国境の島である事・・・「日本の縮図だ!」と改めて痛感しも
っと対馬に対して感心を持つべきだと思った。
Mail info@mizunoue.com
【水ノ上成彰 事務所】
〒592-8348
堺市西区浜寺諏訪森町中3丁272-2
TEL 072-263-0333
FAX 072-263-0334